tanofarm’s diary

長野の自然豊かな土地で低農薬、除草剤不使用を貫く長芋作りするブログ

今頃、猛暑!!

こんにちは!

きょうは、8月22日です。

毎日猛暑が続いています。35℃なんか当たり前です。年々暑さがつらくなるのは年のせいでしょうか。みなさんはいかがですか?

7月は雨が多く日照不足でした。8月になって一変し、このあたりで雨らしい雨が降ったのは3日と5日の2日だけです。そしてこの高温の連続です。野菜の価格が高騰していますが、無理もないですね。毎年、お盆には涼しくなるのですが、今年は変です。

実は、私、毎日日記をつけています。内容はその日行なった農作業がメインですが、家族のことや最高、最低気温も書いています。もう、13年目になります。農作業を記録しておくと、去年の今頃は何をしていたかがわかります。家族旅行もいつだったかわかります。最低気温は、朝起きた時、物置の気温計を見て記録します。最高気温は翌日の新聞を見て前日に書き写します。過去の最高気温を見ると、8月でも結構36℃とかありますが、2,3日で25℃程度に下がっています。今年は下がりません。

さて、この高温の長芋への影響が気になっています。前にも書きましたが、今年長芋を作付けした畑は、他人に長年貸しておいた畑で、野菜や柿の木でした。ただ、貸す前の30年ほど前は両親が長芋を栽培していました。そこで、昨年、その畑に長芋を試験的に栽培してみたのですが、やはり、土が硬く掘りにくく、途中で掘るのをあきらめました。今年は、この畑しか栽培する畑がないので、掘りにくくても一生懸命掘ります。そんな気合を入れての今年の長芋栽培ですが、7月は多雨、8月は高温という極端な天候ですので、うまく育つかどうか・・・、疑問です。長芋は少雨だと細長くなります。多雨ですと土が締まり変形が出ると言われています。

長芋の現在の作業は、草取りです。3回目です。畝(うね)の長さは約15mですが、1畝草取りをしただけで汗が噴き出てきます。朝夕の涼しい時を見計らって行なっています。熱中症に十分気を付けています。土が乾ききっていますので、草も大きくなりません。「草かき」という道具で、比較的簡単にカットできます。また、カットした草が暑さですぐ枯れるので、「熊手」で書き出す必要もありません。また、長芋のつるが成長してるので地面に影ができ、草に日が差す量が少なく、草の成長も不十分となっています。この暑さ、人にもきついですが、刈られた草にもきつく、すぐ枯れてくれます。

今は、午後4時です。外は風が出てきて窓から暖かい風が入ってきます。室温は31.2℃ですが、エアコンはつけずに扇風機で我慢できています。外は、風があれば結構涼しいですが、さすが、ちから仕事は汗が出ますので、きょうはこれから草取りとします。

きょうは以上です。

次回は、ここの長芋栽培に深く関係する「千曲川」について考えてみたいと思います。前にも書きましたが、千曲川は「恩恵」と「損害」の両面を持っています。

ご期待ください。それでは、また。

長芋の歴史?!

皆さん、こんにちは。

きょうは7月23日、海の日で祝日です。明日はスポーツの日。本来なら東京オリンピックの開会式が行われる予定でした。コロナ禍で1年延期されています。

さて、毎日のように雨が降っており、長芋畑の草は元気良く成長しています。長芋のつるも伸びてきて毎日「つる直し」をしています。「つる直し」のことは昨年も書きましたが、つるは上へ上へと伸びるものであり、つるが張った網より上に伸びていくと、強い風が吹くとつるが折れてしまいます。そこで、網の上部を横に巻くように人手で直してやります。また、隣の畝(うね)のつる同士が絡まると通りづらくなり作業性がわるくなります。

ところで、きょうから二回目の草取りを始めました。つるの根本の草は手で抜き取ります。畝間(畝と畝の間)は「草かき」という道具で根ごと刈ります。3日はかかるでしょう。

本題です。長芋の歴史ですが、ネットを見ると中世に中国から伝わったと言われているが、現在、中国には、日本で栽培されてきた長芋は無いのだそうです。おかしな話ですね。日本で品種改良がなされたのかもしれないですね。

さて、ここ、長野市南部で長芋が本格的に栽培され始めたのは、昭和30年代のようです。日本で最初との説もあります。私も小学生高学年の頃から家の長芋掘りを手伝っていました。長芋栽培を始める前は養蚕、りんご、小麦、玉ねぎなど作っており、収入は少なく貧しい農家でした。しかし、長芋は高額で売れ、我が家も少しゆとりができ、私も大学へ進めました。ですので、長芋様様なのです。

そのころは、長芋は高級食材とされ、関西の割烹を筆頭に人気を博し、生産が追い付かないくらいでした。ところがその後は、松本や青森、北海道などでも大規模に栽培され始め、価格は低迷しました。現在は、健康食材として浸透し、多くの長芋ファンに支えられ、価格も安定しているようです。

以上です。

次回のテーマは・・・・、まだ決めていません。では、また読んでくださいね。

長芋畑の草取り

皆さん、こんにちは。

きょうは、6月28日です。

暑くなってきて、農作業も忙しくなり、毎日が大変ですがいい汗をかいています。

さて、前回で予告しましたが、今回は長芋畑の「草取り」です。

前にも書きましたが、昨年の台風19号千曲川の洪水で、それまで長芋栽培していた畑が流失しました。それで、今年は、別の畑で栽培しています。長い間、親の知人に貸していた畑です。3年前、その人が亡くなり、それから私が耕作しています。さつま芋や白菜、キャベルなどを作りました。今までの長芋畑の500mくらい上流です。堤防と千曲川の間にあるのは変わりません。ただ、このあたりは、洪水の時は土がえぐられるのではなく、土を置いていきます。川がカーブした直後に位置しているからかもしれません。昨年の洪水では20cmくらい土が堆積しました。

今まで、何度も書きましたが、長芋は土が軟らかくないと素直なまっすぐで形の良い物になりません。今度の畑は、長芋を栽培したことが無いため、土は硬いでしょう。なので最初のうちは芋の形は悪いし、掘り取りも大変でしょうが、数年頑張れば土もそこそこ柔らかくなっていくと思います。

さて、本題の「草取り」ですが、昨年の洪水で堆積した土には、雑草の種がたくさん含まれています。案の定、びっしりと雑草が生えてきました。畝間(畝と畝の間)は「草かき」という道具で刈ればよいのですが、長芋の芽も出始めているので、種を植えてある通り(畝)に生えている草はどうしても手で抜かなければなりません。大変でした。

この畑の広さは約400㎡で、長芋の種は約600個です。去年までは3つの畑の合計で約2,800個ですので、約5分の一です。それでも刈った草を畑の端に集めるまで2日かかりました。

雑草の種類ですが、今は時期、約8割は「すべりひゆ」です。この辺では「すべりひょ」と言っています。葉がサボテンの葉のように厚手で赤ピンクした草です。東北のどこかでこの「すべりひゆ」を「お浸し」にして食していると聞いたことがあります。ある程度大きくなると、根を刈っても茎から根が出て簡単に枯れず、重いしで厄介な草です。

ところで、「雨降る前に草取りをするな」という言い伝えがあります。理由はわかりますか?刈った草も雨で元気になってしまうからです。刈った草を集めておけばまだ良いのですが、刈ったままにして雨が降ると根を出し、生き返ってしまうというわけです。逆に、雑草を刈ったあとそのままにしておいても、好天が続くと雑草は枯れます。

雑草はとにかく強いです。栄養が無くても、雨がろくに降らなくても、雑草は枯れません。何年もの間に進化し続けて逞しい生命力を身につけたのでしょう。それに比べて野菜はなんと弱い生き物でしょうか。

では、きょうはこの辺で。

次回のテーマは、長芋の歴史を調べたいと思います。

長芋の支柱立てと網張り

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皆さん、こんにちは。

前回は、長芋の種芋を植えるため畝(うね)の溝に種芋を置いた画像を添付しましたが、その後、鍬(くわ)で土をかけました。土を人力で移動させるのは、重労働です。やはり疲れます。がんばってかけました。

さて、きょうは、その後の作業である、支柱立てと網張りです。上の写真はその作業を終えた状態のものです。左上の木の間から水色に見えるのが千曲川です。

支柱ですが、以前ここでも書きましたが、昨年の台風19号ですべて流されてしまいました。約400本です。

支柱は、5月ごろから11月ごろまで約半年、土の中に挿してあるため、年々使用し続けると、錆が進み先端が折れて短くなります。よって、毎年、何本か買い足していきます。昨年も足りなくなり、100本買い足しました。50本は使いましたが、台風ですべて流されてしまいました。今年は、その残りの50本では足りず、新たに100本購入しました。30本ほど残りました。残りは、「きゅうり」や「つるいんげん」に使います。

支柱は、鉄製のパイプで農協とかで販売されています。1本300円程度します。樹脂製を使う人もいますが、多くの人は鉄製です。

さて、支柱の立て方ですが、支柱の間隔は、網に合わせて立てます。網は、網目24cm、幅(高さ)1.8mです。長さは、最も短くて18mでその上は36m、50m、100mです。私の畑の長さは16~17mですので18m物を16個購入しました。支柱の間隔は具体的には、種の8個毎に立てます。網の上と下にロープを通し、両ロープを端の支柱に縛り付け、上部のロープは、支柱と支柱の間に網目を7つずつにし、網の高さが1.8mなので背丈より少し高い位置に支柱にからげていきます。他端まで行き、両ロープを端の支柱に縛り付け、網をピンと張るために、下部のロープを各支柱の根本に別のひもで縛り付ければ終わりです。両端の支柱には、内側に引っ張られるので斜めに支柱を予め足しておきます。

長芋に網を張り始めたのは、約20年ほど前からですが、その前は支柱の先端にロープを1本張っただけでした。網にすることで長芋の「つる」が絡みやすくなるため、伸びやすくなり、良い芋ができると言われています。私は3年前から網にしたのですが、芋の出来は良くなったと思っています。

今回は以上です。

内容についての感想をコメントでいただけたら嬉しいです。

では、次回をお楽しみに!

次回の報告は「草取り」かな?今も、もう小さい草が生え始めています。

 

長芋の種植え

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皆さん、こんにちは!

きょうは、5月22日です。いよいよ、春本番です。農作業も忙しくなってきました。

ところで私のこのブログですが、1日に20人以上の方々が見てくれることがあります。

ありがたいことです、本当に。書く私のほうも力が入ります。

 

今回の写真は、長芋の種植え作業のひとコマで、種を置いた状態です。左上に見えるのが千曲川です。下流に向かって撮影しています。

種植えの手順を説明します。

まず、種の作り方です。

種芋用の長芋があると思っている人がいますが、特別あるわけではありません。しかし、同じ物を繰り返し使うよりも、たまには他人の家の長芋をもらって(買って)種にしたほうがいいとは言われています。

種の大きさですが、1個の重さが150g~200gと言われています。私は175gを目指して作っています。長芋は、物によっても、場所によっても太さがまちまちなので、同じ重さに切るのは慣れるまではたいへんです。最初は秤(はかり)にかけてみます。大きすぎても小さすぎても良い芋ができません。大きすぎると平(ひら)と言って先が平べったくなりやすいのです。単価が安く、皮をむきづらいです。小さすぎると大きく成長しません。切った後は、切断面に消石灰を付けます。消石灰は、切断面を早く乾かすのと除菌の効果があります。天日干しし、10日ほどして、切断面にひび(細かな割れ)が入れば植え付けできます。種芋の数は、作付けする畑の大きさ(畝(うね)の長さと数)で計算します。今回は、約600個作りました。

次は畑の準備の方法です。

畑の土は柔らかいことが重要です。長芋には柔らかい土が適していて、まっすぐで、すんなりとした形の芋ができます。私は持っていませんが、たくさん作付けしてる人は、「トレンチャー」という機械で、作付けする所を予め柔らかく掘っておきます。幅20cm、深さ1.5mくらい。私はマメトラで耕運し、表面を柔らかくします。

作付けする畝(うね)を決めたら、その畝に、消石灰、牛糞と化学肥料の元肥をまき、再度耕運します。そして、土壌消毒です。「連作障害」といって、長芋に限らず、ほとんどの野菜は連作(同じ場所に同じ野菜を作付けすること)すると正常に成長しないとか病気になる特性があります。長芋も連作すると「褐色腐敗病」という連作障害が出ます。そこで土壌消毒剤という液体農薬を土(作付けする畝(うね))に注入します。土壌消毒剤は農薬ですので、できれば使用したくないのですが、これだけは使わないと長芋が病気になってしまうので、最低量を使用しています。注入後、1週間後から種芋の植え付けができます。

次は、種芋の植え付けです。

1尺置きに印が付いたひもを張り、それに沿って鍬(くわ)で畝溝(うねみぞ)(深さ約10cm)を作り、種を1尺(30.3cm)おきに置いていきます。(写真)畝と畝の幅は3尺(90.9cm)です。種のうち、長めの物と短めの物をなるべる交互に置きます。これは、芽が出る位置(=長芋ができる位置)が決まっていないため、長めの物同士だと接近して芋ができることで、掘り取るときに隣の芋に傷を付けてしまうことがあるためです。あとは、また、鍬で掘った土を鍬でもとに戻すことで種芋に土をかけて種植えは完了です。

次回は、支柱たてとネット(網)張りです。

ご期待ください。

ラジオに生トーク!!

こんにちは!

前回、ラジオに生トーク出演という「初体験をした」と書きましたが、今回はそのトークした内容です。

この文章を前日に放送局にネットで送っておいたら、当日の朝、放送局から電話トークの出演の依頼の電話があったのです。

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ラジオネーム 「ながいも いのち」

 

長野市内の60代の男です。「坂ちゃんのずく出せエブリデイ」の大ファンです。

 

不思議な体験です。

だいぶ昔の出来事です。

20年以上前になりますが、私は千曲市にある製造業の会社に勤務していました。

当時は半導体産業が華やかなころで、その会社も半導体がらみの製品を造っていてとても忙しい状態が続いていました。

その日は、ある製品が翌日出荷ということで、製品はできたのですが、それに添付する書類作りが遅れていました。

当時の私の仕事は、各担当者が作成した資料を確認し責任者としてまとめを行っていました。

会社は、社員100名くらいの規模の工場で、1階は製造現場で、2階がスタッフの部屋で、その日も2階でその作業を行っていました。社員は全員帰宅してその作業を一人で行っており、もう少しで完了する、ある晩秋の夜12時ころの出来事でした。

1階から2階に上がる鉄製の階段をトントントンと駆け上がる音がしたので、誰かが忘れ物でもして取りに来たのかと思いました。私はパソコンで作業を行っていたのですが、私の席の脇にある、すりガラスの衝立(パーテイション)の向こうを人影が隣の部屋に入って行く姿をチラッと見て作業を急いでいました。少しして隣に入った人の気配がしないので、その部屋に行くと、電灯は消えており、誰もいませんでした。

少し嫌な気がしたのですが、気のせいかと思い、席に戻り、作業を終わらせようと急ぎました。

数分ほどして、また、さきほどの階段をトントントンと駆け上がる音がするではりませんか!今度はすぐに見にいきましたが、誰もおらず、階段の電灯も点いていませんでした。

背中がゾッとなり、慌てて作業を終わらせ、帰宅しました。

 

翌日、会社で年配の先輩に昨夜のことを話すと、会社があるこのあたりは、千曲川の河川敷であり、昔は堤防がなく、川がこの会社の辺りで大きく曲がっていて、上流で川に飛び込んで自殺した死体が何体も発見された場所だった、とのことでした。

その話を聞いて、再び背筋が寒くなりました。

 

その後は、半導体産業も衰退し、仕事量も減り、たまに夜遅くなっても階段の音は聞きませんでした。

余談ですが、その工場は、昨年の台風19号で話題となった、千曲市の「霞堤(かすみてい)」のすぐ脇にあります。 以上

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気持ちが良い話ではなくてごめんなさい。

次回からは、いよいよ、長芋作りの下準備を始める時期になりましたので、その内容を含め、農作業を順次報告していきたいと思います。ご期待ください。

 

初体験?!!!

こんにちは!

きょうは報告があります。

「初体験」をしてしまった~~のです。4日前に。

久しぶり、と言うよりも、これまでにない「ドキドキ」感でした。

 

ラジオは、長芋掘りとかの畑作業中は、よく、聴いています。

畑作業は疲れますし、単純作業ですと飽きてしまいます。そんな時、聴いてるラジオで癒されることがあります。

 

実は、そのいつも聞いているラジオ番組に、電話で生出演してしまった!のです。

 

その番組は、TBS系列のSBCというローカル局のラジオ番組で、長野県内に流れています。平日の朝9:05から13:00までの生放送です。

その番組のタイトルは、「坂ちゃんのずく出せエブリデイ」です。「坂ちゃん」とは、毎日出ているメインキャスターの男性中堅アナウンサーの「坂橋(さかはし)」からきています。「ずく」とは長野の方言で、「やる気」とか「いやでも頑張る気持ち」という意味です。女性アナウンサーも毎日交代で出ています。

その番組にはいろいろなコーナーがあります。その一つが「あなたと話そうピッポッパッ」といい、視聴者が電話で話す視聴者参加型コーナーです。話すテーマは毎週変わります。今週の月曜日にその放送を聞いていると、今週のテーマは、「私の不思議な体験」とのこと。私も昔に不思議な体験をしているので、投稿してみようかなという気になり、思い切って投稿しました。ラジオ局へのインターネットメールで。ラジオネームは「ながいも いのち」としました。

午後、帰宅した女房に投稿したことを話しましたが、「ヘー」と言ったきりで、「採用なんかされるもんですか!」と言わんばかりの顔をされました。一生懸命、文章にして送ったのに・・・・、テンションが半減していました。

翌日(火曜日)いつものようにラジオを聞いていると、携帯電話が鳴りました。登録してない市内局番でした。出ると「こちら、SBCラとジオですが・・・・」えーー、ひょっとしてーー。まさかぁー。「投稿いただきました内容をこのあと番組でお話ししていただけませんか・・・」「あー、はい。」と、しどろもどろで承諾しました。「このまま、しばらくお待ちいただき、呼びかけられたら、そのままお話しください。ではよろしくお願いします。」

すると、携帯電話からはラジオで放送している内容が流れてきました。

聴いていたラジオを消して、そのまま待ちました。

なにしろ初めての生出演で、長野県中に流れるし、うまく話せるか不安で不安でいっぱいになり、心臓が高鳴りドキドキでした。まさか私に依頼が来るなんて。でも、ヤッターという気持ちも少しありました。深呼吸して待ちました。

前のコーナーが終わり、CMが流れ、さあ、いよいよ、そのコーナーが始まりました。そして「坂ちゃん」に呼びかけられました。「さあ、登場していただきましょう、おはようございますっ。」元気な呼びかけに「おはようございます。」と応え、始まりました。「お名前をどうぞっ。」「ながいも いのち です。」「きょうは、どんなことをお話しいただけるのでしょうかっ。」

 

およそ15分のトークでした。坂ちゃんは、手慣れたもので、答えがうまくできるように適切な質問を次から次に投げかけてきました。おかげで心配していたこともほぼ無く、無事終わりました。

翌日、番組の中で言っていた「ずく出せおてしょ」が家に送られてきました。「おてしょ」とは、長野の方言で「お皿」のことです。裏には、両アナウンサーのサインが入っていました。

 

私がラジオで話した「不思議な体験」の内容は次回に報告します。

お楽しみに!では、また。