tanofarm’s diary

長野の自然豊かな土地で低農薬、除草剤不使用を貫く長芋作りするブログ

長芋の歴史?!

皆さん、こんにちは。

きょうは7月23日、海の日で祝日です。明日はスポーツの日。本来なら東京オリンピックの開会式が行われる予定でした。コロナ禍で1年延期されています。

さて、毎日のように雨が降っており、長芋畑の草は元気良く成長しています。長芋のつるも伸びてきて毎日「つる直し」をしています。「つる直し」のことは昨年も書きましたが、つるは上へ上へと伸びるものであり、つるが張った網より上に伸びていくと、強い風が吹くとつるが折れてしまいます。そこで、網の上部を横に巻くように人手で直してやります。また、隣の畝(うね)のつる同士が絡まると通りづらくなり作業性がわるくなります。

ところで、きょうから二回目の草取りを始めました。つるの根本の草は手で抜き取ります。畝間(畝と畝の間)は「草かき」という道具で根ごと刈ります。3日はかかるでしょう。

本題です。長芋の歴史ですが、ネットを見ると中世に中国から伝わったと言われているが、現在、中国には、日本で栽培されてきた長芋は無いのだそうです。おかしな話ですね。日本で品種改良がなされたのかもしれないですね。

さて、ここ、長野市南部で長芋が本格的に栽培され始めたのは、昭和30年代のようです。日本で最初との説もあります。私も小学生高学年の頃から家の長芋掘りを手伝っていました。長芋栽培を始める前は養蚕、りんご、小麦、玉ねぎなど作っており、収入は少なく貧しい農家でした。しかし、長芋は高額で売れ、我が家も少しゆとりができ、私も大学へ進めました。ですので、長芋様様なのです。

そのころは、長芋は高級食材とされ、関西の割烹を筆頭に人気を博し、生産が追い付かないくらいでした。ところがその後は、松本や青森、北海道などでも大規模に栽培され始め、価格は低迷しました。現在は、健康食材として浸透し、多くの長芋ファンに支えられ、価格も安定しているようです。

以上です。

次回のテーマは・・・・、まだ決めていません。では、また読んでくださいね。